概要
核磁気共鳴(nuclear magnetic resonance:NMR)法は、分子構造や様々な分子間相互作用、分子の運動状態などを調べる手法で、高分子化学、生物化学、医学等の広範囲な分野で活用されています。今回は、固体状態の試料を測定する固体NMRの基礎と題し、固体NMRと溶液NMRの違いや、固体NMRの装置構成、大まかな測定手順について紹介します。(溶液NMRについては、過去の入門講座(T2125、T2126)をご覧ください)
1.固体NMRとは?1)
溶液NMRでは、試料を溶媒に溶解させ測定を行いました。一方、固体NMRでは、固体状態の試料をそのまま測定します。そのため、溶解しない材料や、溶解により構造変化する材料の測定・解析が可能です。
固体NMRの測定では、異方性相互作用(磁場の方向に依存する相互作用)を取り除く必要があります。これは、固体試料は溶液試料に比べ分子運動性が低いため、溶液中で平均化されていた様々な異方性相互作用によりスペクトルが広幅化し、解析が困難となるためです。
異方性相互作用の影響を減らすため、固体NMR専用のプローブや、溶液では用いられない様々な測定法が利用されています。異方性相互作用とその対処法については、4.補足で詳細に述べます。
2.固体NMRの装置構成
固体NMR測定を行うには、固体NMR専用のプローブ・試料管が必要です。
通常の固体NMR測定では、スペクトルの高分解能化のため試料管を数千~数万Hzで高速回転させ、異方性相互作用を低減させます。この回転操作をマジック角回転(Magic Angle Spinning:MAS)と呼びます。
固体プローブを【図1】に示します。試料管は、静磁場に対し約54.7°の角度(マジック角)で挿入されます。
次に、固体試料管を【図2】に示します。固体試料管は高速回転でも破損しないよう、セラミックスでできた円柱状のスリーブでできています。このスリーブ内部に粉末試料を詰め、キャップで蓋をします。固体試料管の片端は羽の形状となっており、プローブ内で風を当てることで試料管を高速回転させています。
マグネットやNMR分光計は溶液NMRと共通していますが、異方性相互作用を取り除くため、高出力のパワーアンプが用いられます。また、MASを行う圧縮空気を多量に供給するため、溶液NMRに比べ吐き出し空気量の多いコンプレッサーが必要です。
3.固体NMRの測定
固体NMRの大まかな測定手順を【図3】に示します。
1) 1H NMRスペクトル
固体NMRでも、溶液NMRと同様にシム調整を行いますが、通常の測定であれば溶液NMRほど厳密に実施する必要はありません。
アダマンタン粉末や水の1H NMRスペクトル等を用いて、ピークの線幅が細く、強度が最大となるようにシムのパラメータを調整します。分析試料の測定では、このパラメータをそのまま利用できます。
なお、固体NMRでは一般的にロックは行いません。
2) マジック角調整
次に、マジック角を調整します。試料管はプローブ内で54.7°傾けられた状態で挿入されますが、プローブの付け外しや長時間のMAS回転等で角度が僅かにずれることがあります。
マジック角の調整では、KBrの79Br MASスペクトルがよく用いられます。スペクトル中の、等方ピークの周囲に現れるスピニングサイドバンド(Spinning Side Band:SSB)*ピークの強度が最大となるようにマジック角を調整します【図4】。
*SSB:MAS回転周期間隔で現れる副次ピーク。磁場が小さい、MAS回転数が大きいほど間隔が広くなる。
3) 化学シフト補正
溶液NMRでは、化学シフト基準となる試薬(TMS等)を測定溶液に加え、基準ピークを用いて化学シフトを補正していました。一方、固体NMRでは、先に化学シフト基準試料のみを測定し、化学シフト補正を行い、補正後のパラメータを用いて分析試料を測定する場合が多いです。
また、化学シフト基準の代わりに、化学シフト既知の試料を二次標準物質として用いることも可能です。
様々な核種の化学シフト基準、二次標準物質については、文献1)を参考にしてください。
4) 測定試料の調製
固体NMR試料管に試料を詰めます。試料を詰める際は、メーカー専用のサンプリングキットを用います。
MASによる高速回転を行うため、試料管の回転が安定するよう、試料管内部に均一に試料を詰めることが重要です。そのため、測定試料をあらかじめ乳鉢で粉砕しておくと良いです。試料管には、少しずつ試料を加えては上部から押さえ、試料管内部に均一に試料を詰めていきます【図5】。
試料管の形状やサンプリングキットはメーカー毎に異なります。詳細なサンプリング手順については、各メーカーの手引き書等をご確認ください。
5) 試料のセット、チューニング
4)で測定試料を詰めた試料管を、プローブにセットします。その後、MAS、チューニングを行います。
MAS回転数は、磁場の大きさや測定核種によって適切な回転数が異なります。例えば1Hや19F核では、SSBを抑えるため、なるべくMAS回転数を大きくします。
6) 条件設定・測定、データ処理
測定では、溶液NMRと同様に、待ち時間やパルス幅、積算回数等の条件を設定し測定を行います。
固体NMR測定では、測定核種や材の状態によって待ち時間が大きく異なるため、注意が必要です。
また、固体NMRの1次元測定では、主に3つの測定方法がよく用いられています。SP(Single Pulse)法、DD(Dipolar Decoupling)法、CP(Cross Polarization)法の3つで、詳細については次回取り上げます。
なお、データ処理は溶液NMRと同じ内容のため、説明は省略します。
4.補足 異方性相互作用について
固体NMRでは、様々な異方性相互作用により、スペクトルの広幅化が生じます。ここでは、主な異方性相互作用と、その対処法について紹介します。
1) 化学シフト異方性2)
静磁場中の分子は、静磁場に対する分子の向きにより化学シフトが異なります。この現象を化学シフト異方性(Chemical Shift Anisotropy:CSA)と呼びます。
溶液NMRでは、溶液中で分子が高速で運動しているため、CSAは平均化され1本の鋭いピークのみが観測されます。しかし、固体NMRでは分子運動性の小さい粉末材料を用いるため、あらゆる向きの分子のピークが重なり、広幅なピークとなってしまいます。
CSAの影響を取り除く方法として、2.で紹介したMASが用いられます。試料を高速回転させるほど、ピークが大きく、シャープになります【図6】。
2) 双極子相互作用3)
核スピンは、棒磁石のような性質を持ち、2つの核スピンが近接している場合、お互いに影響を及ぼし合います。この2つの核スピンの相互作用のことを、双極子相互作用と呼びます。
双極子相互作用の大きさは、2つの核スピン間の距離や、核スピンの向きに依存しますが、溶液NMRでは分子が高速で運動しているため、双極子相互作用は平均化され、スペクトルへの影響は見られません。一方、固体NMRでは、双極子相互作用の影響によりスペクトルが広幅化してしまいます。
1H-1H等の同種核間双極子相互作用を取り除く方法として、超高速でMASを行う方法や、CRAMPS3,4)と呼ばれる、同種核間双極子相互作用を取り除いたスペクトルを得る測定法を用いる方法があります【図7】。
1H-13C等の異種核間の双極子相互作用を取り除く方法としては、双極子デカップリング(Dipolar Decoupling:DD)と呼ばれる手法が用いられます。これは、片方の元素にラジオ波を照射することで、双極子相互作用を取り除く手法です。
例えば、13Cスペクトルを測定する際に、1Hとの双極子相互作用を取り除くために1Hデカップリングが用いられています(DD法)。
3) 四極子相互作用4)
核種の中には、静磁場中で3つ以上のエネルギー状態を取るものがあり、これらは四極子核と呼ばれます(2H、11B、14N、23Na、27Al等)。四極子核は、四極子モーメントを持ち、周囲のイオンや電子が形成する電場勾配との間に相互作用が働きます(四極子相互作用)。
四極子相互作用を取り除く方法としては、なるべく磁場の高い装置で測定を行い、相互作用の影響を小さくする方法、MQMAS法2~4)と呼ばれる測定法を用いる方法等があります。【図8】はガラスの固体11Bスペクトルですが、磁場の高い700MHzでピークが先鋭化し、分解能が向上しました(詳細は技術資料T1833を参照)。
参照文献
- 1) 林 繁信、中田 真一 編、「チャートで見る材料の固体NMR」、講談社サイエンティフィク(1993)
- 2) 斎藤 肇、安藤 勲、内藤 晶 著、「NMR分光法-基礎と応用-」、東京化学同人(2008)
- 3) 阿久津 秀雄、島田 一夫、鈴木 榮一郎、西村 善文 編著、「NMR分光法」、講談社サイエンティフィク(2016)
- 4) 日本化学会 編、「実験化学講座8 NMR・ESR」、丸善(2006)